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※現在、教室の形では教えていません。私の身内と事業の参加者への指導と、このサイトのような一般向けの講義は、行っています。

※犯罪集団には、参加しません。なお、武道の分野においても、他のビジネスと同様に、回収が可能な集団・企業を正当化処理する予定は、あります。妨害(犯罪)があると遅滞するので、警戒しましょう(どのビジネスでも、私が直接に運用している時には、合法ですね)。


今回の特記事項:無し。2012年7月



→ 古流神道流 天上神影流

私の武術について

簡単な自己紹介
本名 氏 太一 (たかうじ たいいつ)
総合アート・プロデューサー
天上流の創始者で総帥。北辰天王拳の創始者で総帥。神影新流の創始者で総帥。
天上神影流の創始者で総帥。
古武道評議会の最高顧問。
1975年 東京都杉並区に生まれる。
3歳の頃には、芸術において創作活動を始めていた。
幼少期には、遊び代わりに簡単な戦闘訓練をしていた。
ちなみに、経絡と経穴に気を込めた攻撃を加えるという発想は、中国の少林寺にも存在したらしいが、それを明確に技術化することを考えたのは、幼少期の私が最初であったらしい。
私の先祖は源氏の大殿様なので、武道家の家系ではないのだが、適性が高かったために、少年時代に多くの武術・武道を修得した。
少年期の終わり頃から、武術の修行は、より本格的になった。
日本の武術の分野においては、古武道についての復習のために、鹿島神流の東京伝の教室で学んだ。最初から極意を教えるような教室だったので、鹿島神流の根幹は私に伝授された。また、千年の伝統のある鹿島神道流の剣術も、私は修得した。
中国拳法の分野においては、20世紀より約二千年前の、秦や漢の時代の拳法の戦い方や身体の使い方を修得した。
1999年に、私のオリジナルの流儀である天上流を創始した。天上流は、剣術を中心にした総合的な武術である。流儀名の天上とは、向上心を意味する。
私は、天上流の創始のすぐ後に、神影新流を創始した。神影新流は、鹿島神道流の剣術を受け継ぐ、新しい流派である。
そして、自動的に、天上流と神影新流が融合して、もう一つの流儀が誕生した。それが、天上神影流である。
私の中国拳法の部分は、北辰天王拳と呼ばれるようになった。北辰天王拳を私の拳法の正式名称に決定した。
そして、天上流と神影新流そして天上神影流の誕生から10年になる2009年の初めに、私は天上神影流の内容を改良した。神影新流の技術を総て包含しながらも、技術体系を天上流の要素を中心に置いて作り直した。天上流に迫るほど強力だが天上流よりも危険性も少なく学び易い。それが、天上神影流の美徳である。そして、天上流そのものは、頂上剣という上位の技術群と奥義の内のいくつかを中心に置いて、私と一部の人間だけの秘伝にすることに決めた。
千年の伝統のある鹿島神道流の基本技術を受け継ぎながら、天上流の要素も持つ武術、天上神影流は、完成の時を迎えた。
私の肉体は若返ったようにすら見えるようになり、不老長寿タイプであると判明したので、私は、引退せずに長く活動していくことを決めた。


私の武術流派について
天上神影流 (てんじょうしんかげりゅう)
 流儀名は「天上神影流」だが、呼び名である「古流神道流天上神影流」も「天上神影流」も、正式名称である。神道流の神道とは、古来の日本の宗教の在り様のことであり、特定の宗教団体の言葉ではない。元々、私の先祖や土地の精霊を祭ったのが始まりである。
 私が創始した二つの流儀、天上流と神影新流が融合して、天上神影流が誕生した。
 天上流の技術は、ほとんど全部が、私の独自の工夫によって開発された技術である。私が開発した技術の中で鹿島神道流には収まらないものが、天上流になった。そして、誰の物でもない鹿島神道流の基本技術に、私の工夫を加えたものが、神影新流の技術である。鹿島神道流の技術には、千年の伝統がある。
 天上流の要素を核にした、高度に洗練された技術体系を持っている。千年の伝統のある鹿島神道流の基本技術も受け継いでいる。
 天上流に迫るほど強力だが天上流よりも危険性も少なく学び易い。それが、美徳である。
 剣術を中心に、長柄武器(槍、薙刀、杖、等)の技術、柔術、等の修練をする。

天上流 (てんじょうりゅう)
 天上流は、天上流武術、天上流剣術とも名乗る。天上流は、剣術を中心にした総合的な武術である。
 私が開発した技術の中で神道流には収まらないものが、天上流になった。天上流の技術は、ほとんど全部が、私の工夫によって開発された技術であり、私の著作権の塊だと言える(ごく基本的だと思える部分さえも、他の流儀の中に見当たらない形になっている)。天上流は、私のオリジナルの流派である。
 鹿島神道流以上に、動きの良さが特長である。また、待ち受ける技でも先手を取って勝ったように見える場合があるのも、特徴の一つである。また、私の天上流の抜刀術は、鞘をあまり切らない特別な抜刀術であり、超抜刀術と呼ばれている。
 名前の、天上とは、向上心を意味する。まるで天上界の剣術だ、というのは、世間での評判である。
 私は、古武道範士二百段以上に相当すると言われてから久しいが(千段以上とも言われるが)、高い水準でいられるのも、私が向上心を持っているからである。
 天上流の技術は強力だが修得が難しく、危険性も考えられるので、私は天上流の技術を大勢には教えない。私は天上流を、隠さないが広めない流儀にしている。
 特に、頂上剣と名付けた上位の技術群と奥義の内のいくつかは、総帥と一部の人間だけの秘伝である。

北辰天王拳 (ほくしんてんおうけん)
 北辰天王拳も、私が創始した流儀である。分類すると、中国拳法の中に入る流儀である。
 技術の核は、天上流の柔術の中の当て身(手や足で打つ技術)の部分と同じである。それに、中国拳法の要素が加わったのが、北辰天王拳の技術である。
 約二千年前の中国拳法の、力強い戦い方や多数の敵を想定した訓練法なども継承している。また、中世の中国拳法に倣って、動物の特徴を模した形も、いくつか開発した。
 そして、気に関する技術や、経絡や経穴に関する技術も、含んでいる。
 私の呼び名の一つが北辰天王であるため、北辰天王拳と呼ばれるようになった。
 普通の使い手が30年間、空手と中国拳法の修行をしても、私にダメージも与えられない場合があるが、修行者がそういう強さを得るための修行は、生易しいものではない。

神影新流 (しんかげしんりゅう)
 剣術の流儀である。補助的なものとして柔術(組討)もある。
 誰の物でもない鹿島神道流の基本技術に、私の工夫を加えたものが、神影新流の技術である。千年の技術を継承している。
 ちなみに、神影流とは、鹿島神道流の呼び名の一つである。奥山休賀斎の神影流の分派や亜流も存在したはずだが、本体の神影流の流統が直心流に吸収され直心影流になった後、神影流という名前の流儀は存在しなくなった。神影流という名前は、私の流派の固有名詞と言っても良いだろう。
 流儀のルーツを明らかにするのはマナーであり、新しい流派であることも示す必要があるので、私の鹿島神道流は、神影新流と名乗るのである。また、神影流という名前は、宗教の宗派の違いを越えて活動するのに都合が良いのである。


日本の武術の起源について
 古代の相撲をスポーツの起源の一つだと考えるならば、剣と槍を使う技術が、最初の高度な武術だと言えるだろう。柔術は組討の技とも言い、本来は剣術の補助のための技術であった。
 鎌倉時代以前にも武術の流儀は存在したが、現在まで継承されている例は、珍しいと言える。
 香取神道流と鹿島神道流は関わり合いが多く、神道流として一くくりで語られることもあるが、香取神道流と鹿島神道流は、起源も内容も違う。
 天真正伝香取神道流は、現存する武術流派の中で最も早く成立した。20世紀の時点で約600年の歴史がある。
 鎌倉時代や平安時代の流儀はほとんど継承されていないので、室町時代に形成された流派である天真正伝香取神道流は、最古の武術流派とも呼ばれる。
 一方、鹿島神道流は、20世紀の時点で500年前後の歴史があり、技術の起源は、さらに古く、古代である。
 「鹿島立ち」という言葉もあるように、鹿島は古代から武人たちの聖地だった。防人(さきもり)の時代から、武術の研究も盛んに行われていたらしい。
 鹿島神流にも、国井家伝の部分など、鎌倉時代や平安時代の技術が持ち込まれた明確な形跡がある。
 鹿島神道流の技術には、千年以上の伝統があると言える。

 天真正伝香取神道流は、基本動作の連続体で構成された形を持ち、基本動作を磨き上げることを修練の中心に置いている。
 鹿島神道流は、戦いの構造に着目して開発された技術体系を持つ。鹿島神道流は、対応能力の高さが特徴である。鹿島神道流の代表的な流派には、鹿島神流、鹿島新当流、卜伝流、等がある。
 鹿島神道流の松本備前守は鹿島神流を創始した。塚原卜伝は、鹿島神流で学んだ(塚原卜伝の父親は、主に香取神道流で学んだらしい)。鹿島新当流は、戦国時代(室町時代末期)から江戸時代の初め頃の鹿島神道流の教え方を継承している流儀で、卜伝流は、塚原卜伝の戦い方の特徴を継承する流儀であった。上泉伊勢守は鹿島神流で学び、陰流の創始者である愛洲移香斎からも学び、新陰流を創始した。新陰流は、合理的で凝縮された形を持っている。また、新陰流は、陰流の古い形も継承している。
 香取神道流と鹿島神道流、および新陰流は、多くの武術流派の源流になった。

 室町時代の終わり頃や江戸時代に誕生した流儀もある。
 伊藤一刀斎は、古い流儀も学んだが、独自の工夫を中心に置いて新しい流儀として一刀流を創始した。宮本武蔵が創始した二天一流は、二刀を使う技を中心に扱う、個性的な流儀である。神道無念流は、戦国時代の流儀を学んだ武道家が江戸時代に創始した流儀で、古くからの神道流ではなく、無念流という新しい流儀である。
 ちなみに、江戸時代の終わり頃に活躍した新撰組は、天然理心流との関わりが深い。江戸時代に、その流祖は神道流の流派で学んだ後、自ら工夫して天然理心流を創始したらしい。
 室町時代の終わり頃から江戸時代には、居合を中心に行う流儀も、誕生した。居合とは、抜刀術の一種である。座って、居る(おる)姿勢で抜刀術を行うのが居合である。居合は、不意討ちに備えたり、不意討ちを仕かけたりすることを目的とする。居合の流派としては、林崎流や田宮流が有名である。

 鹿島神道流の一つである鹿島神流は、江戸時代と昭和に、技術を大きく変化・発展させた。鹿島神流は、源流の一つでありながら、進歩し続ける流派でもあった。

 鹿島神道流の技術は、古代から大勢で築き上げてきたので、誰が創った物でもなかった。
 また、剣術全般に共通することだが、流派ごとの個性的な様式や教え方には独自性があるが、特に工夫された技術以外は、基本的で当たり前の技術なのである(私の天上流のように特殊な技術ばかりで構成された流儀は、珍しい)。
 1999年に、私は天上流を創始した。そして、そのすぐ後に、神影新流を創始した。
 私が開発した技術の中で神道流には収まらないものが、天上流になった。天上流の技術は、ほとんど全部が、私の工夫によって開発された技術であり、私の著作権の塊だと言える(ごく基本的だと思える部分さえも、他の流儀の中に見当たらない形になっている)。天上流は、私のオリジナルの流派である。ちなみに、天上とは、向上心のことである。まるで天上界の剣術だ、というのは、世間での評判である。
 私は、神影新流の技術をまとめ上げるのに際して、技術の原点回帰を行った。流派ごとの個性的な様式や教え方を取り外し、千年の伝統を持つ鹿島神道流の基本技術を取り出す作業を行ったのである。
 誰の物でもない鹿島神道流の基本技術に、私の工夫を加えたものが、神影新流の技術である。千年の技術を継承しているが、新しい流儀と言えるので、誰の権利も侵害することなく、活動することができるのである。
 ちなみに、神影流とは、鹿島神道流の呼び名の一つである。鹿島神流も、鹿島神影流という別名で呼ばれていたこともあるらしい。奥山休賀斎の神影流の分派や亜流も存在したはずだが、本体の神影流の流統が直心流に吸収され直心影流になった後、神影流という名前の流儀は存在しなくなった。神影流という名前は、私の流派の固有名詞と言っても良いだろう。また、神影新流という名称を使った流派は、過去には無かったようである。
 また、私は、修行の過程で新陰流の影響を受けているので、その事も神影流という名前に込めてある。
 流儀のルーツを明らかにするのはマナーであり、新しい流派であることも示す必要があるので、私の鹿島神道流は、神影新流と名乗るのである。また、神影流という名前は、宗教の宗派の違いを越えて活動するのに都合が良いのである。
 そして、神影新流と天上流が融合して誕生したのが、天上神影流である。
 私が創始した天上神影流は、20世紀の末に、最も古く最も新しい流儀として誕生した。

(参考文献 鹿島神流の資料、柳生新陰流の資料、直心影流の資料、武芸流派大事典(東京コピイ出版部)、等)


武術の流儀の創始について
 既存の流儀の支部や分派が独立して、新しい流儀や流派になる場合がある。この場合、流儀を継承して伝統していくことが重要なので、新たに工夫を加えることが難しい。
 基本的な技術に独自の工夫を加えて新しい流儀が創り出される場合がある。この場合、新しい独自の工夫を中心に置いて活動するのだから、特に制約を受けない。
 昔から、このようにして武術の流儀や流派は誕生して来たのである。
 例えば、鹿島神道流の場合、基本的な技術は誰の物でもないのだから、鹿島神道流の使い手であれば誰でも、自由に使って良いし自分の教室を開いて弟子に教えても良いのである。ただし、既存の流派の独特の様式や教え方を使ってはいけない。独立する場合は、あくまでも、基本的なことと自分の工夫を中心に置かなければならない。


流祖と流統
鹿島神流 松本備前守
新陰流 上泉伊勢守
柳生新陰流 柳生石舟斎
神影流 奥山休賀斎
真新陰流 小笠原玄信斎
直心流 神谷伝心斎

天上流 氏赤竜斎源太一
神影新流 氏赤竜斎源太一
天上神影流 氏赤竜斎源太一

(参考文献 鹿島神流の資料、柳生新陰流の資料、直心影流の資料、武芸流派大事典(東京コピイ出版部)、等)



2009年4月 氏 太一



古流神道流 天上神影流

(こりゅう しんとうりゅう てんじょうしんかげりゅう)
KORYUH SHINTOHRYUH TENJYOHSHINKAGERYUH

 流儀名は「天上神影流」だが、呼び名である「古流神道流天上神影流」も「天上神影流」も、正式名称である。神道流の神道とは、古来の日本の宗教の在り様のことであり、特定の宗教団体の言葉ではない。元々、私の先祖や土地の精霊を祭ったのが始まりである。
 また、天上とは、向上心を意味する。まるで天上界の剣術だ、というのは、世間での評判である。
 私が創始した二つの流儀、天上流と神影新流が融合して、天上神影流が誕生した。
 天上流の総帥は、同時に、天上神影流の総帥でもある。
 天上流の技術は、ほとんど全部が、私の独自の工夫によって開発された技術である。私が開発した技術の中で鹿島神道流には収まらないものが、天上流になった。そして、誰の物でもない鹿島神道流の基本技術に、私の工夫を加えたものが、神影新流の技術である。鹿島神道流の技術には、千年の伝統がある。
 天上流の要素を核にした、高度に洗練された技術体系を持っている。千年の伝統のある鹿島神道流の基本技術も受け継いでいる。
 天上流に迫るほど強力だが天上流よりも危険性も少なく学び易い。それが、美徳である。
 剣術を中心に、長柄武器(槍、薙刀、杖、等)の技術、柔術、等の修練をする。槍と薙刀と杖をまとめて長柄武器として扱うのは、天上流の独特の工夫である。

流派の歴史
1999年 天上流と神影新流が誕生。同時期に、天上神影流が誕生。
2009年 天上神影流の技術体系と教え方が完成。


主な構成
○ 初伝訓練法
 ごく基本的な事を学ばせるための課程である。
○ 法定三剣
 少し長い形。剣術の基本を学ばせ、天上流の入り口へと導く形である。

○ 古式ノ太刀
 神影新流の剣術の形。鹿島神道流の基本技術に私の工夫を加えたものである。
○ 古式ノ抜刀術
 神影新流の抜刀術の形。鹿島神道流の基本技術に私の工夫を加えたものである。
○ 古式ノ組討
 神影新流の組討の形。鹿島神道流の基本技術に私の工夫を加えたものである。

○ 裏ノ太刀
 実用的な工夫の有る技術である。連続技も含まれている。
○ 飛天ノ太刀
 天上流の特徴が強く表れている。基本的な技術と頂上剣の間の技術なので、飛天と呼ばれる。

○ 二刀
 同時に二刀を使う技術である。
○ 短刀
 とても短い刀を使う技術である。
○ 大太刀
 長くて重い大太刀の特長を活かす技術である。形の稽古では、長短の、長さの違う木刀を使う。

○ 鍔競
 鍔競の技術である。
○ 組討
 組討の技術である。天上流の柔術の簡易版である。
○ 裏ノ組討
 組討の技術である。実用的な工夫の有る技術である。

○ 抜刀術飛天抄
 天上流の特徴が強く表れている抜刀術である。天上流の抜刀術の基本的な使い方を学べる。居合も含まれている。刀が帯から外されて横に置いてある形も有るのが、天上流における居合である。
○ 裏ノ抜刀術
 実用的な工夫の有る技術である。

○ 長柄武器
 天上流では、槍と薙刀と杖を、まとめて長柄武器として扱い、同じ技術で使う。

 さらに、秘伝の部分も有る。



2009年4月 氏 太一


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